所在地:佐賀県佐賀市伊勢町9-8
撮影日:2014年02月11日、2015年02月10日
掲載写真:10枚
主祭神:天照大御神
伊勢神社は佐賀県佐賀市伊勢町にあります。
全国で唯一、三重県の伊勢神宮より御分霊を勧請された伊勢神社が、佐賀県佐賀市の伊勢神社です。
もともと伊勢神宮は勧請(かんじょう。御分霊を他の神社に移すこと)を許していませんでした。しかし、戦国時代に佐賀県神埼郡の杉野隼人という人物が18歳の時から44歳の時までの間に年2回、計53回も伊勢神宮にお参りしたことを受けて、伊勢神宮の長官三方衆(大宮司・権宮司・ 少宮司)が伊勢神宮の分霊を許し五十鈴川の神石を御神体として下しました。当時の荒廃した時代に伊勢参りを53回も続けて行うということは非常に危険かつ稀なことで、杉野隼人の信心深さゆえの特別な計らいでしょう。杉野隼人は天文11年(1542年)に神埼郡の田手(たで)に御神体を祀りました。これが現在の「田手神社」(田手大神宮)です。たぶん。
なぜ「たぶん」なのかというと、田手神社の祭神は天照大御神ですが、田手神社の御由緒では『天智天皇が筑後にいた頃(おそらく白村江の戦い(663年)あたり?)に杉野隼人が33回願い出て、この地に撞賢木厳之御魂向津媛命(天照大御神)を勧請して創建された』とあるからです。時代が違いすぎます。
のちの文応元年(1260年)に第9代当主杉野十郎熙伝が神夢をさずかり、伊勢神宮より神璽、瑤鏡、宝剣の三種の神器を賜り神社再興を果たしたとの記述もあって、どこか伊勢神社御由緒とかぶってますが正確にはやっぱり違います。なので杉野隼人が天文11年に伊勢神宮の御分霊を祀った社が本当に現在の田手神社(田手大神宮)かどうかは管理人にはわかりません。
さて、杉野隼人は神埼郡田手に伊勢神宮の御分霊を祀りましたが、その後、伊勢神宮の社人(神官)の竹市善右衛門が杉野宅を訪れて「西の方にもっと貿易が盛んな地があり、参詣者も多く御神徳を蒙らせたいと思うので移したらいかがだろう」と提案しました。杉野はこれを了承し、永禄8年(1565年)、当時栄えていた佐嘉郡蠣久(かきひさ。現在の鍋島町蠣久)の地に遷座しました。これが現在の「蠣久大神宮」(蠣久天満宮社殿右奥に鎮座)です。
その後、天正2年(1574年)藩祖鍋島直茂が佐賀築城の際に、鍋島蠣久より経済の中心を移すべく雑穀、酒類、油類、木綿類、鋳物類、塩の六業社を城下に移り住ませたのが六座町で、同時に天満宮もその町内に遷しました。これが現在の「北面天満宮」です。
そして慶長10年(1605年)に蠣久から現在地へ大神宮を遷座。これが現「伊勢神社」です。創建時は「伊勢大神宮」と称していたようで、拝殿の扁額が今でも「伊勢大神宮」です。初代藩主鍋島勝茂が朝鮮出兵の戦勝祈願成就により遷座建立したとも言われています。
※「佐賀市地域文化財データベースサイト」では伊勢神社の創建は慶長8年(1603年)です。また、佐賀市ホームページ「佐賀市都市景観重要建築物等(伊勢神社)」では現在地へ遷座したのは天正19年(1591年)となっています。伊勢神社ホームページでは慶長10年(1605年)に遷座し伊勢大神宮を建立、となっていますので、伊勢神社の創建年はいったいいつなのかよくわかりません。ここでは伊勢神社の表記に従い慶長10年創建とします。
「全国で唯一、三重県の伊勢神宮より御分霊を勧請された」と謳っている伊勢神社ですが、最初から伊勢町に創建されたのではなくて、神埼郡田手→鍋島町蠣久 →伊勢町と遷座しています。神道では御分霊を勧請しても元の神社にはそのまま鎮座されていますから、伊勢神社だけが伊勢神宮の御分霊を祀っているのではありません。現に蠣久大神宮(蠣久天満宮)には御神体(五十鈴川の神石)があります。
もちろん全国各地に伊勢神宮を勧請した神社があります。しかし、伊勢神宮から正式に勧請された「伊勢神社」という名前の神社は、この佐賀県佐賀市伊勢町の伊勢神社だけです。全国には他にも「伊勢神社」という社名の神社があるようですが、伊勢神宮から御分霊を勧請された伊勢神社はここだけです。ですので本当の意味での伊勢神社は、三重と佐賀にしかないと言われているそうです。
ということで、こちらでは伊勢神社の境内写真を掲載したいと思いますが、管理人は大祭(建国記念日)の時しか撮影していないため、境内の様子が普段と違いすぎます。人が多かったのでささっと撮影しているため、まともな写真は1枚もありません。でも載せちゃおうっと!w
計10枚掲載。
大祭の日の伊勢神社拝殿の様子です。
これらの画像はすべて2014年02月11日の午前中に撮影したものですが、参拝客の多さ、わかっていただけると思います。モザイク処理かけるのも面倒なくらいです。このような状況下でも狛犬の写真を撮影した自分自身がちょっと頭おかしいと思いました。まあ、いいんですけど。
伊勢神社大祭の日(建国記念日)、青い空に日の丸国旗を掲揚し、拝殿前には色とりどりの旗が風ではためいている様に、なんだか身が引き締まる思いがしました。
伊勢神社拝殿前の狛犬です。画像は1枚目が吽形、2枚目が阿形です。
嘉永2年(1849年)に奉納されています。岩を駆け上る姿ですので「岩狛」です。阿形も吽形も、両方とも口を開けています。
伊勢神社には佐賀市重要文化財に指定されている石造肥前狛犬(寛文7年:1667年)がいます。存在を全く知らなかった管理人は、もちろん撮影などしていません。
東を正面とする伊勢神社楼門は、一間一戸の四脚門、屋根は切妻造本瓦葺、形式手法から19世紀初期の建築と見られています。
(佐賀市ホームページ「佐賀市都市景観重要建築物等(伊勢神社)」より引用)
残念ながらこの画像は楼門の西側つまり裏側を撮影したものなので、正面の様子がさっぱりわかりませんね。大祭の日に撮影したので青白の幕があり、隠れてしまって楼門の様子が更にわかりません。
雰囲気だけでも感じていただければ結構です。
ちなみにこの青白の幕は「浅黄幕(あさぎまく)」またはそのまま「青白幕」と言い、神事に使われる幕です。紅白幕や鯨幕(白黒幕)よりも古い歴史を持つと言われています。
東を正面とする鳥居は石造の肥前鳥居で、慶長12年(1607年)の刻銘があり、佐賀市の重要文化財に指定されています。
特徴は、2、3本の石材を継いで組み立てられた、笠木・島木・貫・柱。一体化した笠木と島木。流線形の木鼻。さらに、柱上端の笠木と島木を支える部分には、必ず台輪が付けられており楔は使われていません。柱の下部は地中に埋め込まれどっしりと重量感にあふれ優美さも併せ持っています。
(伊勢神社ホームページ「境内散策(伊勢神社石造肥前鳥居)」より引用)
画像でおわかりのように、この写真は伊勢神社大祭前夜祭の時に撮影しています。鳥居の柱には看板が立てかけてあり、この画像では鳥居の様子がさっぱりわかりません。でも管理人は肥前鳥居の写真をコレしか持っていないので、仕方がないのです。普通の日に撮影していないので残念ですが仕方がないのですよ!
伊勢神社大祭の日は出店が並び賑やかな町通りとなります。
この写真は2015年(平成27年)2月10日夜に撮影したものですが、2015年は411年祭なんですね。
2014年(平成26年)の伊勢神社大祭進行表です。前夜祭も含めて夜通し行われる神事・催事で何が行なわれているのか、わかりやすいと思いますので画像を掲載しておきます。
最後の餅投げ(福餅投げ)は非常に盛り上がるようですが、管理人は参加したことはありません。あ、伊勢うどんは食べました。