鵜戸神宮・鵜戸稲荷神社
所在地:宮崎県日南市宮浦3232
撮影日:2012年11月02日
掲載写真:37枚(次ページとの合計65枚)
鵜戸神宮主祭神:日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)=神武天皇(初代天皇)の父親
鵜戸稲荷神社主祭神:不明。おそらく宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)だと思われる
鵜戸神宮創建:伝崇神天皇朝
鵜戸神宮(うどじんぐう)は宮崎県日南市にあり、主祭神は初代天皇である神武天皇の父「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」です。
本殿がある岩窟は、ウガヤフキアエズの母である豊玉姫(とよたまひめ)が、ウガヤフキアエズを産むために産屋を建てた場所です。ちなみにウガヤフキアエズの父親は、神話で有名な山幸彦です。
海神の娘である豊玉姫がウガヤフキアエズを産む時のお話は日本神話としてとても有名だと思いますので、ご存知ない方はご自分でお調べください。岩窟内には、豊玉姫が海神国へ戻る時に両乳房をくっつけて行ったという伝説が残る「お乳岩」などがあります。
管理人は鵜戸神宮には数回訪れたことがありますが、今回初めて、鵜戸神宮の楼門脇に入口がある「鵜戸稲荷神社」の存在に気づきました。鵜戸稲荷神社は説明板などがなかったのでよくわかりませんが、稲荷神社なので、祭神はおそらく宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)だと思います。
駐車場からは海岸傍の参道をてくてく歩いて鵜戸稲荷神社、鵜戸神宮本殿へと向かいますが、青い海と砂利道の対比が素晴らしく、天気が良いと一層清々しい気持ちになります。
管理人は今回、初めて一人で参拝しましたが楽しかったです。一人だったけど運玉投げもテンションが上がりました!(もちろん投げた運玉は、ちゃんと穴に入れることができました!)
一人で訪れるのも意外と気楽で良いかもしれませんね。
画像は八丁坂を通って鵜戸神宮本殿へ向かっていく順番で掲載しています。
海岸の景色や鵜戸稲荷神社の画像も含めて掲載していますので、参道を通って鵜戸神宮本殿へ向かうような気持ちになる、かもしれません。
ページ内でも案内していますが、鵜戸の古狛犬は「狛犬サイト(鵜戸神宮ページ)」、鵜戸稲荷神社の狛犬は「狛犬サイト(鵜戸稲荷神社ページ)」で確認してください。
【次ページまで合わせて計65枚掲載のうち37枚掲載】
記:2014年10月25日
編集:2018年03月11日
駐車場に車を停めて、鵜戸神宮八丁坂参道を行きました。
素敵な石畳が続いていてちょっとだけテンションが上がりましたが、意外と長距離でした。
鵜戸神宮の神門です。
ここまでけっこう歩いたので、八丁坂参道を通らない、もっと近くの駐車場に車を停めた方がラクなのかもしれません。
神門はどっしりと構えていて素晴らしいです。
すぐ傍には海が広がっていますので、神門の朱色と海の青色の対比がとても素敵です!
ということで、このページでは神門や鵜戸神宮楼門、海岸の景色などの写真を掲載します。本殿に向かう感じで、鵜戸稲荷神社や亀岩の写真も掲載していきます。
鵜戸神宮の楼門です。
とても立派な楼門で、近くで見ると圧倒されてしまいます。
本殿に向かって撮影した写真と、本殿側から撮影した写真を掲載します。
鵜戸神宮楼門の扉にあった「乳金具(ちかなぐ)」を撮影していたので、写真を掲載しておきますね。
「乳金具」は見た目の通り、おっぱいに似ているからこういう名前になったのです、たぶん。
なぜ扉に「乳金具」があるのかというと、要するに「釘隠し」です。ただの飾りではありません!
鵜戸神宮御由緒
主祭神 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊( ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
当宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧光喜坊快久が勅令によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜わった。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、西都神道の一大道場として盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号、寺院を廃し、後に官幣大社鵜戸神宮 にご昇格された。
母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。又、霊石亀岩の背中に運玉を投げ見事にはいると願い事が叶うという伝えがある。
このほか、 念流・陰流の剣法発祥の地として、厄除・漁業・航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
霊石「おちち岩」
当神宮ご祭神の母君「豊玉姫命」が、洞窟に造った未完成の産屋でご出産の際、父君「彦穂穂出見尊」がのぞいてしまいました。
そのため母君は故郷の海の国へ帰らなければならず、その際お生まれになったご祭神への愛情と健やかな成長を願い、ご自分の両乳房を洞窟内にくっつけていかれたといわれています。
現在も絶えず石清水がしたたり落ちる神秘の岩。
鵜戸神宮の楼門をくぐって左手に「吾平山上陵」の案内板があります。
ここから先が鵜戸稲荷神社への入口となっています。
吾平山上陵(あひらのやまのうへのみささぎ)
鵜戸陵墓参考地
本宮御主祭神日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を葬(おさ)め奉ると伝う
此處より仰ぐ神域の最高地速日峰(はやひのみね)の頂(いただき)に在り
此處より約三百五十米自然林の中青苔を踏んで登る
宮内庁書陵部の管轄で陵守部(りょうぼしゅぶ)が置かれている
「鵜戸の古狛犬」と「神武天皇後降誕伝説地」の碑がありました。
この狛犬は文政8年(1828)に土砂崩れにより海中に沈んでいたものを引き上げて修復したものだそうです。めちゃめちゃ可愛らしい狛犬ですね。
【狛犬サイトへ】
鵜戸稲荷神社は稲荷神社なので赤い鳥居がいくつも並んでおり、石段を上って参拝します。
鳥居の扁額には「鵜戸稲荷神社」とあります。2本目の鳥居には恵比須神社の案内札が立ててあります。
扁額が掲げられている最初の鳥居の両脇には1対の狛犬が鎮座しています。
なかなか愛嬌のある顔立ちの狛犬です。
【狛犬サイトへ】
鳥居をくぐりながら石段を上って行くと鵜戸稲荷神社があります。
説明板がなかったので確かなことは言えませんが、稲荷神社なので、祭神は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」ではないでしょうか。
鵜戸神宮のホームページを見ると、鵜戸稲荷神社は「末社」となっており、毎年2月に「稲荷神社例祭(初午)」があります。
「初午祭」は全国の稲荷神社の例祭です。伏見稲荷神社の祭神が降りたのが和銅4年(711年)2月の初午だったので、稲荷神社では2月(新暦・旧暦)最初の午の日に「初午祭」が行われます。
つまり、「初午祭」が行われる鵜戸稲荷神社は、伏見稲荷神社の祭神と同じ祭神「宇迦之御魂神」を祀っているのではないか、ということです。
鵜戸稲荷神社と同じ敷地内(鵜戸稲荷神社に向かって右側)に恵比須神社がありました。
鵜戸神宮のホームページを見ると、恵比須神社は「末社」となっています。1月10日に恵比須神社例祭が行われるようですから、いわゆる「十日えびす」ということで、「事代主(ことしろぬし)」を祭神としていると思われます。
鵜戸稲荷神社に参拝したあと、鵜戸神宮本殿へ向かうまでの景色を色々と掲載してみたいと思います。
けっこう歩いたと思います。景色もいいし天気も良かったので楽しく散策できました。
掲載しているのはほとんど海岸の写真です。
鵜戸神宮本殿を外から見た写真です。
鵜戸神宮は洞窟の中に本殿があります。まさに「岩窟」です!
「亀岩」は鵜戸神宮本殿前の海岸にあります。
この窪みの部分に「運玉」を投げ入れてうまく入ったら願い事が叶うそうです。
女性は右手で、男性は左手で投げ入れます。
実際に投げようとすると風が吹いたりして難しいんですが管理人はうまく入れることができました!!
「よっしゃー!」って一人で喜んでいたら、周りの観光客の方に拍手してもらいました。鵜戸神宮を訪れる方は良い人ばかりです。
運玉の由来
奇巌連なる中、一際目を引く岩は亀石です。
古くより参拝者は亀石の枡形穴に向かってお金を投げ入れる風習がありました。
ところが昭和二十七年頃、落ちたお金を求め崖を降り磯に出る子がいて問題となりました。
賽銭に替わるものをと、鵜戸小、鵜戸神宮共に試行錯誤した結果、昭和二十九年に粘土を丸め運の文字を押し、素焼きにした「運玉」が誕生いたしました。
以来、地元の子供達が作り続ける運玉は亀石に投げられ、願いと夢と喜び楽しみを与えています。