宗像大社
所在地:福岡県宗像市田島2331
撮影日:2013年02月03日
掲載写真:29枚
宗像大社主祭神:宗像三神
沖津宮(おきつぐう):田心姫神(たごりひめのかみ)
中津宮(なかつぐう):湍津姫神(たぎつひめのかみ)
辺津宮(へつぐう):市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
創建:有史以前
宗像大社は福岡県宗像市にあります。「宗像大社」とは沖ノ島の「沖津宮(おきつぐう)」・筑前大島の「中津宮(なかつぐう)」・宗像市田島の「辺津宮(へつぐう)」の三社の総称ですので、宗像市にある「宗像大社本殿」はつまり「辺津宮本殿」ということになります。
宗像大社の主祭神は宗像三女神「田心姫神(たごりひめのかみ)」「湍津姫神(たぎつひめのかみ)」「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」です。
天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息吹から生まれたのが宗像三女神ですが、この三女神の名前も祀られている宮名も、『古事記』『日本書紀』『宗像大社社伝』で異なっています。なのでおそらくWikipediaで三女神を調べると混乱するでしょう。
例えば辺津宮に祀られている市杵島姫神は、『古事記』では中津宮に祀られていると記されていますし、『日本書紀』では沖津宮や辺津宮に祀られていると記されているわけです。生まれた順番も異なりますから、これは混乱しちゃうこと間違いなしです。
ということで、このページでは『宗像大社社伝』に基づいて記述しますのでご了承ください。
宗像大社の奥には宗像三女神降臨地と伝えられている「高宮祭場(たかみやさいじょう)」があります。社殿が建立される以前の神社祭祀(庭上祭祀)を継承する古代祭場です。神籬(樹木)を依代としています。
管理人は今回初めて訪れましたが、とても静かな場所で、佇むだけで神聖な気持ちになりました。こういう経験は初めてでした。
宗像大社を参拝される方は、少しだけ歩きますが高宮祭場を是非訪れてみてください。
画像は辺津宮から奥へ向かっていく順番で掲載しています。その後に宗像大社祈願殿(駐車場近くの建物)の狛犬写真を掲載しています。祈願殿の狛犬の詳細は「狛犬サイト」で確認してください。
【計29枚掲載】
記:2014年10月30日
編集:2018年03月13日
「宗像大社」というのは「沖津宮」「中津宮」「辺津宮」の総称です。なので拝殿は、正しくは「辺津宮拝殿」になります。
国の重要文化財である拝殿は天正18年(1590年)、時の筑前領主・小早川隆景が再建しました。
切妻妻入造(きりづまつまいりづくり)で屋根は本殿と同じく柿葺(こけらぶき)だそうです。
「宗像大社」は「沖津宮」「中津宮」「辺津宮」の総称なので、本殿は正しくは「辺津宮本殿」です。
本殿も拝殿と同じく国の重要文化財です。天正6年(1578年)に大宮司宗像氏貞が再建しました。
柿葺(こけらぶき)の流麗な屋根、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の建物で、安土桃山時代初期の特色をよく表しているらしいです。
辺津宮脇(横)の風景です。末社が並んでいます。
第二宮・第三宮(ていにぐう・ていさんぐう)
宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)と次女神(大島)は遥か玄界灘洋上に鎮座されており、往古より総社(中心となる神社)である当地・辺津宮を「第一宮」と 称し、その境内地に両宮の御分霊をお祀りしてまいりました。そして第二宮と第三宮まで詣でれば、沖津宮と中津宮まで、つまり宗像三宮を拝したと信仰されてきました。
宗像三女神は「古事記」「日本書紀」にある通り、天照大神と素戔嗚尊との誓約の際に、天照大神の息吹より誕生されました。
現在の社殿は、その格別の由緒を以って宗像三女神の御親神を祀る伊勢神宮より、第六十回神宮式年遷宮に際し下賜されたものです。
我が国最古の建築様式である「唯一神明造り」で昭和五十年五月に移築されました。
第二宮(ていにぐう)には沖津宮の田心姫神が祀られています。伊勢神宮より下賜された別宮の古殿を移築再建したものです。
第三宮(ていさんぐう)には中津宮の湍津姫神が祀られています。第二宮と同じく伊勢神宮より下賜された別宮の古殿を移築再建したものです。
宗像大社祭祀発祥の地 高宮祭場(たかみやさいじょう)
宗像大神御降臨の地と伝えられています。社殿がまだ総研されない悠遠のいにしえ、この地で祭祀が行われ敬虔な祈りが捧げられました。
現在でも毎月1日、15日の月次祭(つきなみさい)をはじめ、春秋の大祭のおりにも、お祭りが斎行され、全国でも数少ない神籬(ひもろぎ)・岩境(いわさか)の古代祭場です。
神秘的な空間に心うたれます。
宗像三女神降臨地と伝えられている「高宮祭場」へと向かう参道です。
けっこう歩いたような気がしますが、木々に囲まれた素敵な空間が続いたので楽しかったです。
御神木 相生の樫
二本の幹から伸びた枝が仲睦まじく交差し合った連理の樹木は太古より男女の絆を深め、恋愛が実り末永く夫婦円満の福徳が有ると言い伝えられています。
この樫の木は、御覧の通り堅い絆で目出度く枝が結ばれておりその神縁により御神木「相生の樫」と命名致しました。
宗像大社社務所
髙宮(たかみや)
宗像大神御降臨(ごこうりん)の地と言はれています。社殿がいまだ創建されない悠遠(ゆうえん)のいにしえ この地で祭祀が行なわれ敬虔(けいけん)な祈りが捧げられたのであります。
現在でも一日、十五日の月次祭(つきなみさい)をはじめ春秋の大祭には本殿に先がけてお祭りが斎行されており全国でも数少い神籬(ひもろぎ)、磐境(いわさか)の古代祭場であります。
宗像大社
宗像三女神の降臨地と伝えられているのが高宮祭場(たかみやさいじょう)です。
沖ノ島と並んで我が国の祈りの原形を今に伝える、全国でも数少ない古代祭場だそうです。
高宮祭場(たかみやさいじょう)
宗像大神(むなかたおおかみ)「降臨の地」と伝えられ、沖ノ島と並び宗像大社境内で最も神聖な場所の一つです。
神籬(ひもろぎ)(樹木)を依代(よりしろ)としており、社殿が建立される以前の神社祭祀(庭上祭祀)(ていじょうさいし)を継承する、全国でも稀な静寂に抱かれた祈りの空間です。
宗像大神(宗像三女神)は沖ノ島の沖津宮(長女神=田心姫神)、大島の中津宮(次女神=湍津姫神)、そして総社である当地・辺津宮(末女神=市杵島姫神)にお祀りされ、この三宮を総称して宗像大社と申します。
三宮のなかでも、沖ノ島は当大社の神職が交代でたった一人常駐勤務(現在十日間ごとの交代)し、今日も女人禁制や、毎朝海に入っての禊、一木一草一石たりとも持ち出せないなどの掟や禁忌によって厳重に守られている神聖な島です。
その沖ノ島では四世紀末から約六百年間にわたり国家規模の祭祀が行われ、二十三ヶ所の祭祀跡が確認されると共に、八万点にもおよぶ神宝(全て国宝)が出土しています。
また現在、全国津々浦々の神社で行われている祭祀(おまつり)は、社殿(本殿や拝殿)で行われていますが、この沖ノ島の祭祀跡から、天上より依代(磐坂・神籬)に神様を降臨願うという、神社祭祀の原点が実証されています。
この沖ノ島で行われた祭祀の姿を色濃く残しているのが、当地の高宮祭場です。古代より連綿と継承される、わが国の祈りの姿に想いを馳せながらご参拝ください。
宗像大社の駐車場にあった建物「宗像大社祈願殿」前の狛犬です。
画像は1枚目が吽形、2枚目が阿形です。
管理人は本殿の狛犬の存在に気づかなかったので、この祈願殿の狛犬しか撮影していません。
阿形は逆光のせいでもはや何だかよくわからない写真ですが、こういう写真しか残っていないので仕方がありません。台座が高くて撮影しにくかったんですよねぇ。
阿形に比べて吽形(1枚目)はバッチリ撮影できてますね!
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